仏弟子「道を求める人びと」3 2008.4.12
 
周(しゆ)利(り)槃陀伽(はんだか) 難陀(なんだ) 阿難陀(あなんだ) 羅?羅(らごら) ?梵波提(きようぼんはだい) 賓頭廬頗羅堕(ひんずるはらだ) 迦留陀夷(かるだい) 
 
摩訶劫賓那(まかこうひんな) 薄拘羅(はつくら) 阿?楼駄(あどろだ)  如是等 諸大弟子
 
かくのごときらの もろもろの大弟子、
 
【訳】このような修行者たちでありました。
 
(しゆ)(り)槃陀伽(はんだか) チュッラパンタカ 義持第一 
 周(しゆ)利(り)般特(はんどく)とも呼ばれ、兄マハー・パンタカとともに出家して、世尊の弟子となる。
兄は、智恵すぐれていたが、物覚えが悪い。兄から修行をやめるように言われ、精舎の前にたたずみ困りはてていた。世尊から「ほうき」を一本渡された。はじめは、ほうきで掃くということすら覚えられなかったが、やがて「はく」とは塵(ちり)を払うこと、垢を除くことである。智慧の「ほうき」で、身を煩わせ心を悩ます穢れを除くことだと知り、愚かに徹し、ついに世の人々の尊敬と供養を受けるにふさわしい阿羅漢のさとりを開いた。
 
難陀(なんだ) ナンダ 儀容第一 世尊の異母(おとう)弟(と)にあたる。つまり、世尊のマーヤ夫人の妹で、世尊にとっては育ての親となったマハー・パジャパティの子。非常に美男子で、一度は世尊を慕って出家したが、世俗のことが忘れられず、愛欲の悩んだ。しかし、思いやりのある世尊の指導で、誘惑をしりぞけてさとりを開いた。どんな誘惑にも負けない意志の強い人。
 
阿難陀(あなんだ) アナンダ 多聞第一 世尊の従弟。提婆達多(阿闍世をそそのかし王舎城の悲劇を起こさせた人)とは、兄弟。すがたが端正で、人情深く善良であったため、女性の支持が多く、したがって女難もあった。25年の間、いつも世尊のそばを離れず、持者の役目を果たした。すぐれた記憶力によって、説法の内容を正しく伝えた。第一回の結集の時、教法を誦出しました。
 
羅?羅(らごら) ラーフラ 密行第一 世尊の子 「道を修めるために、さまたげとなるものが生まれた」ということで「さわり」と名付けられた。サ−リプッタより戒律を受けた。若い時は、世尊の実子であることを慢心することもあったようですが、世尊の教誡によって、厳しい修行に耐え、さとりを開いた。
 
?梵波提(きようぼんはだい) ガヴァンパテイ 多天供養第一 ベナレスの長者の子。顔が牛に似ていたので牛(ご)王(おう)と呼ばれていた。日頃、親しくしていたヤサが出家したため、その後を追って出家した。ヤサは、放蕩にすさんだ生活をしていた。ある夜、眠りこける伎女たちの醜い姿をみて隠遁の心にかられ、歓楽にあけくれる生活から離れ、世尊に出会い、その端正な姿にうたれて、出家した。これを聞いたガヴァンパテイも、他の三人の友と一緒に鹿野苑に赴いて出家しました。インドの中央部を離れ、人なかを避け、ひとり静かに修行するのを楽しみとした。
 
賓頭廬頗羅堕(ひんずるはらだ)ピンドラ・バーラドヴァージャ 福田第一 コーサンビー国の国師の家に生まれ。法を説いて教化する力が優れている。獅子吼第一。長命であったため、長い間、教法を伝えるのに力を尽くしました。
 
迦留陀夷(かるだい) カールダーイ 教化第一 世尊が出家される前の侍者。出家の前、女性問題など起こし、すさんだ生活だったが、よく立ち直って修行した。ところが、不義の関係におちて家庭を乱している女性とその男を諭そうとして、逆に殺害され、殉教しました。
 
摩訶劫賓那(まかこうひんな)  マハー・カッピィナ 知(ち)星(しよう)宿(しゆう) 第一 十大弟子の一人。徳行の高く、勇猛端正第一の人といわれる。一説に、天文暦数にも精通していたので知(ち)星(しよう)宿(しゆく)第一といわれた。かつては、インド辺地の国王であったとも言われている。
 
薄拘羅(はつくら)  バックラ 寿命第一 無病長命であった。人に教えるという仕事に溺れて自分を失うことなく、ただ一人静かに精進した。
 
阿?楼駄(あどろだ) アヌルッダ 天眼第一 世尊の従弟。あるとき祇園精舎で世尊の説法を聞きながら居眠りをしました。そのあと、世尊から叱責され「たとえ暁にいたるも決して睡らぬ」という誓いを立てた。それを聞いた世尊は「怠けることも駄目だが、いたづらに苦行することもよろしくない。ものごとは、すべて中道でなくてはならぬ」と教えた。しかし、自分は仏の前で誓いを立てたのだと、実行して、幾夜も眠らぬ日が続いたため、肉眼を失った。けれども、かえって心眼を開き、十大弟子の一人となった。

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